霊的トレーニング

◆霊的トレーニングとは

人間は、肉体と共に幽体でも生きています。

しかし、肉体で生きている我々には、霊的身体である幽体が自分にあると言われてもピンとこないことでしょう。

ましてや、肉体とダブっていることなど良くわかりません。

 

それは、肉体というものが物質の世界で暮らしやすく出来ているからです。

例えば、人間の五感は物質を正しく認識しなければ、まともに生きられません。

物質世界で暮らす人間は、霊的なことがわかりにくくなっているのです。

 

それでも、誰にも幽体があります。何もしなければ幽体は未熟なままです。

残念なことに、この世の霊的環境は非常に悪くなっています。

そのため、幽体はさらに弱り、ストレスいっぱいです。

 

どなたでも、いずれ幽体で生きて行くことになります。その幽体の成長や状態によって死後の世界の生活に大きく影響します。

 

また、幽体は肉体とダブっているので、その影響は霊的状態によって肉体にも及び、ケガや病気につながることがあります。

そこで、今ひいては将来のために霊的な身体の強化、発達、魂の進歩向上のためにトレーニングを行うのです。

それが、霊的トレーニングです。

 

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◆霊的トレーニングのはじまり

霊的トレーニングというものは、有史以前から存在しています。それは、人間が霊魂であり霊的な進歩向上が不可欠だからです。

東洋にはヨーガや仏教、古神道などの修行法というものがあります。

 

こうした修行法には大事なポイントがあります。

高級霊の影響を受け、高い気を吸収する必要があります。これが出来ていないと霊的トレーニングとして意味がありません。

 

大切なことは、自分より成長した霊魂からの気を自分に取り入れることなのです。これは、大昔から何も変わっていません。

 

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◆霊的トレーニングは難行苦行ではない

霊的トレーニングというと日本の山岳仏教のような難行苦行を連想される方も多いでしょう。

ところが、肉体に無理をして意識がもうろうとした状態というのは霊的にも良くありません。

 

霊的トレーニングというものが体系化されていない時代では、まさに手さぐり状態だったと思います。

それでも真剣に命がけで行うのですから、そうした熱意が高級霊の目に止まり、霊的な力を得た方もいらっしゃることでしょう。

 

こうしたトレーニングでは大衆化することは難しいものです。一部の限られた人達が行う、神通力の会得のためのトレーニングとなってしまったような感じもします。

 

契山館で行う霊的トレーニングは実にシンプルです。無駄なことは一切しません。

安全かつ短い時間で、確実に成果が出るようにつくられています。

 

高級霊と肉体を持つ人間は意思疎通が困難です。そこで研修において高級霊との接点、約束をつくるのです。

研修に参加すれば、後は自宅で好きな時間に行うことが出来ます。

 

霊的トレーニングには作法があります。人間には霊魂は見えないけれども霊魂からは霊的なオーラが見えるのです。

修行者が約束した作法を行えば、霊的身体から発する信号を理解した高級霊が霊的な力を降ろしてくれるのです。

 

霊的トレーニングとは、肉体を酷使することではないのです。高い気を得るために高級霊との接点をつくることだったのです。

 

厳しさは、霊的トレーニングに向ける信心や熱意、謙虚さといった精神的な面に求められるものといえます。

 

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◆霊能力や超能力開発ではない

霊的トレーニングとは、霊魂としての霊的身体の強化や魂の進歩向上を目的としています。
霊能力や超能力といった技を身に着けることではありません。

 

一般的に霊能力を持つ人は、霊的な力があると思われがちです。

実は高級霊でなくても霊魂が関与することにより、霊能力的なことが起こるのです。

 

それは低い霊魂との交流により得られたもので、その霊魂の影響を強く受けてしまいます。

そのため、霊的な進歩向上にはつながりません。

 

高級霊からの霊能力は、霊的トレーニングをこなし高級霊に近いレベルに達したのち、結果的に得られた能力といえます。

そのため、こうした高級霊能者は本当に稀です。

 

霊能力という技術だけを目的として霊的世界に入ってしまうと、思わぬ落とし穴に落ちてしまいます。

 

お釈迦様もイエスキリストも特別な人です。それでも霊的トレーニングを行ったことを考えれば、普通の人が突然、神様や仏様と交流することなどないのです。

これは、霊的な法則でもあるのです。

 

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◆信仰心がなければ始まらない(宗教、信仰について)

人類の歴史において人が死後生き続けるという考えがなぜあるのでしょうか。
宗教では、まるで死後人間が存在し続けるような主張、伝統、慣習がどうしてあるのか。

 

それは、人には霊魂は見えないけれども、どこかで感じることが多かったからいえるのではないでしょうか。
見たり聞こえたりしないけれども、霊的な感性が人間には備わっていたといえます。

 

霊魂の中でも一番高級な存在を神や仏と呼ぶのであれば、実在するはずです。また、逆に地獄のようなおぞましい世界に住む霊魂いるようです。

 

昨今の宗教事情は複雑になってしまいましたが、その原点である信仰、霊魂のうち一番高貴な存在、神や仏を信仰し御力を頂く、人間が霊的存在としての未熟さを自覚し高貴な存在を求める行為は、霊魂としては自然でごく当然な姿だといえます。

 

霊的な面での宗教の意味、価値を問えば、高級霊の力が入るか、高い幽気を吸収出来るか、霊的成長につながるか、そこに尽きると思います。

 

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◆ 肉体への影響

テレビでも病気や健康の番組が頻繁に流れています。それだけ関心の高さの現れだと思います。

 

肉体の健康と霊的な面は無関係ではありません。

霊的な不調が肉体の病気やケガにつながる場合があります。それは、肉体と幽体とがダブっているからです。

 

一般には、肉体の病気やケガと霊的な関わりを語られることはありません。

例えば肉体と幽体をつないでいる間気という気が不足してしまうと、肉体の活力も弱まってしまいます。

また、霊的な身体に幽気の影響や損傷があると、時間をかけて肉体の病気につながることがあります。

 

人が生きているとは、肉体と幽体がダブった状態であることを考えれば、霊的な面の重要性も理解できると思います。

霊的トレーニングを行うと霊的活力が増します。間気もどんどん生産され、霊的身体も強化されれば多少の悪影響にも対処できます。

 

健康というもの突き詰めるのであれば、霊的な面も含めて認識されることが望まれます。

 

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◆霊的トレーニングで運命を変える

運命を変えるなどというと、うさん臭さを感じる方もいることでしょう。

しかし、自分を動かしている正体を知ることが出来れば、運命というものさえ変化させることが出来るのです。

 

人の運命は決まっているという方もおりますが、仮に全て決まっているのであれば選択肢などありません。

人生において、至るところで選択や判断をしなければなりません。その時、表面の意識とは別に、幽体という身体の意識が大きく影響しているのです。

 

幽体にも心のようなものがあり、何度も地上に生まれた経験や記憶を秘めています。

過去の人生の経験をもとに、今回の人生で様々な局面で心の奥で主張するのです。

霊魂学では霊的カルマと呼んでいます。

 

こうした未熟な意識さえ霊的トレーニングで変えることが出来るのです。

 

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◆高級霊を意識しないトレーニングは危険

これまでお話したように、霊的トレーニングで力を得るには高級霊の協力なしには成り立ちません。

古来より霊的な修行体系というものは、高級霊の存在、援助を前提として行われていました。

 

ところが、時を経ると大きく変わってしまったように思えます。

ただ何も考えず瞑想を行うだけで、霊的な力がつくとか、霊能力が得られとか言う人もいます。

また、精神的に心が落ちつくとか覚醒するとか、ストレスの解消になるとも言われています。

 

しかし、最近流行のヨーガも、元々は霊的トレーニングの体系です。

霊魂の存在や高級霊への意識を向けて行っている人は、どれだけいるのでしょうか。

 

当然、高級霊は求める人にだけ力を与えるので無視します。

ところが、未熟な霊魂は無関係に近づいて来ます。こうした霊魂は、よこしまな目的で人間を物色しているのです。

 

本来、ヨーガ瞑想も正しい指導者の下でのみ行われていたのです。低い霊魂を排除し高級霊からの影響下に入れるように霊的環境を整えることが大事でした。

こうしたことをないがしろにし、霊的トレーニングを安易に考えると、危険でさえあるのです。

 

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